ダウン症でよかった!

ベストセレクション

 

友達 ありさママ

 

小学2年生のダウン症の娘ありさの話です。

普通小学校の支援クラスで過ごさせてもらっています。音楽・体育・給食は普通クラスに混じってやらせていただいています。といっても、音楽では上手く歌えませんし、体育では走るのが遅いですし、給食ではお箸が使えず1人フォークで食べています。

でも、そんなありさにも「友達」がいるみたいなんです。音楽の時間には、熱心に楽譜の読み方を教えてくれ、体育では伴走してくれ、給食の時には机を移動して隣で食べてくれる友達です。しかも複数の子が代わる代わる面倒を見てくれているそうです。すごく恵まれた環境だと思います。

でも、時には他のクラスの子がありさをからかう事があるようです。2年生にしては背が低いし、ダウン症特有の顔と言いますか、少し周りの子と違うからだと思います。「やーい、チビ助。」などと言われるようです。そんな時には、ありさの友達たち全員で反撃してくれるそうです。「お前には、ありさちゃんのかわいさが分からんのか!」「ありさちゃんをいじめるなら100倍にして仕返しするぞ!」「ありさちゃんは神様から特別に貰った子なんだぞ!」みんなの怒号が響きわたるようです。友達全員の力がありさにも伝わるのか、ありさは何を言われても泣きません。必ず守ってくれる友達がいるから。

そして、悲しいかな、そうして守ってくれた子が今度はいじめられていたそうです。その時です、ありさがいじめてる子の足にしがみつき、足を噛んでしまったのです。少し血が出たそうです。学校から連絡があり、急いで車で駆けつけました。先生の前で、ありさを叱りました。ありさはボロボロ泣いていました。先生にも謝って噛まれたお子さんとそのお母さんにも謝りました。

でも、学校の駐車場でありさを車に乗せるとき、ぎゅっと抱きしめました。「よくやったね!」。そう言って褒めてあげました。「ありさのしたことは先生には怒られるけど間違ってないよ。本当に良くやった」。それから、ご褒美にケーキ屋さんに立ち寄り、ケーキを買ってあげました。そして家に向かうと、家の前に人がたくさんいるのが見えました。何だろう、と思ったら、いじめられていた子やその友達たちがありさに会いに来ていたのです。その数、40人。たくさんの友達に祝福され、ありさは車から降りました。ありさは、自分が食べたいはずなのに、ケーキをいじめられていた子にあげました。そして、みんなに褒められて最高の笑顔を見せていました。私は、そんな光景を目にして、ただただ涙を拭うばかりでした。ありさの周りにはとても優しい友達たちがいます。そして、ありさも優しくなっていきます。これがダウン症の他の子にはない強みなのかもしれません。劣っているわけではないんです。もちろん劣っている面のほうが多いですが、特別優れた癒しのパワーがあるように思います。どうか皆さん、ダウン症児のいい面を見つけてあげてください。きっとあります。きっと。

 

 

嬉しいこと 泣き虫

 

うちの子、食事のときに何を食べても「おいしー」って言ってくれるんです。「お魚おいしー! お肉おいしー! ごはんおいしー!」って。

ある日、街中で二人でショッピングしていたら、心無い言葉をいただきました。「ダウン症だからかわいくないね」。同い年くらいの子供に言われた言葉です。その子の母親はすぐ謝ってくれましたが、確実に傷つきました。二人が去った後、うちの子が言いました。「たろう君だ」。「知ってるの?」と聞くと、「音楽と体育のときに一緒にやってる」と言いました。うちの子は、普通校の支援クラスの5年生、音楽と体育は普通クラスに混じって受けさせてもらっています。そのクラスメイトだったんです。「いつもあんなこと言われてるの?」と尋ねたら、「そうだよ」。あっけらかんと答えました。私は思わず殺意が沸きました。奥歯を噛みしめ、じっとこらえました。

その日の夕飯、おなべにしました。みんなで楽しく過ごしたかったんです。主人にも言って、早めに帰宅してもらいました。普段は主人がみんなより帰りが遅く一人で食事しているので。でも今日はあんなことを言われた後だったので、事情を話し、会社を早退させてもらったんです。

家族みんなの食事は久しぶりでした。うちの子は、いつものように「おいしー!」を連発。主人ははじめて聞いたようでした。「いつも、おいしーって言ってくれてるの?」。そう聞いたら、「いつもおいしいもん」とうちの子が答えました。「嬉しいね」。・・・主人のさりげない返事になぜだか涙してしまいました。「ダウン症だからかわいくないね」・・・あの言葉が堪えたんだと思います。止め処もなく流れる涙を見て、主人が言ってくれました。「泣きたいときは思いっきり泣けばいい。泣いた分だけ幸せが訪れる。こうして家族みんなで食事ができるなんてそれだけでも幸せなのに、おいしーって言ってくれてるんだ。めげるな・・・」。言いながら主人も涙声に。でも、うちの子は泣きませんでした。決して。両親が泣いている姿を見てただひたすら「おいしー!」を連発。なんてこの子は強いんだ。泣いている場合じゃない。そう思いました。

その夜、久しぶりに畳の上に布団を敷いて川の字になって寝ました。深夜12時頃でしょうか、わが子の声がしました。涙声で「ダウン症じゃないもん・・・」と。・・・私は、トイレに入って声を押し殺して号泣しました。こんな小さな体でダウン症と闘っているんです。いつも。すると、トイレをノックする音が聞こえました。ドア越しに声がしました。「俺も泣きたい・・・」。ドアを開けると主人がトイレに入ってきました。小さなトイレの中で二人で大泣きしました。へんてこな光景ですね。でもそれがすごく嬉しかった。告知を受けたときに「大丈夫。一緒に育てよう」と言ってくれた以来の嬉しさでした。あ、あと港区のレストランで「結婚してください!」と大声で言われたのも嬉しかったな。そう思うと、嬉しいことばかりのような気がしました。

翌日、主人は早々に会社に向かい、私とうちの子は朝食をとっていました。うちの子が言いました。「昨日、二人で泣いてたね。どうして?」。私は言葉が出ませんでした。するとわが子が言います。「泣きたいときは泣けばいい、ね」。主人の真似です。「そうね。でも大丈夫。もう泣かない」。そう答えながら、涙が少し出てきました。うちの子は、泣いてるのに気付いていたのにそっとしておいてくれたんだ。二人で泣き明かすまで見守ってくれていたんだ。・・・色んな感情が駆け巡りました。うちのこの懐の深さは主人譲りかな。いや、それ以上だ! 「おいしー!」今日も食卓にわが子の声が響き渡る。

 

 

面会 和夫ママ

 

和夫は、幼い時に心臓の手術を受けました。

一時は命が危ぶまれるほどの状態。

でも無事退院できました。

当時離乳食を食べ始めたころだったので、退院後、久しぶりに離乳食を与えました。

りんごをすったデザート。

おいしそうにすべて平らげました。

その後、満面の笑み。

声を出して笑っていました。

大手術を乗り越えたわが子の強さに思わず涙を流してしまいました。

未婚のシングルマザーである私は、和夫を生んだ後、ダウン症であることを聞いていっそ心中しようかと思ったこともありました。

つらい中、その思いをふみとどませてくれたのは、和夫の父です。

「ダウン症やったらしいな。手術も必要なんやろ。これ、使っていいぞ。」

手渡されたのは、手術費用でした。

そのときも正直お金に困っていたときだったので、涙したのを覚えています。

そして、退院後、和夫の父が改まって我が家を訪ねてきました。

「結婚するか?」

そう切り出したのは、和夫の父でした。

シングルマザーを覚悟していた私は、その言葉に思わずこう返答しました。

「いいとも!」

嬉しさやほっとした気持ちの中で出た最大限のジョークです。泣きながら言いました。

今は親子三人、和夫を中心として仲良く暮らしています。

和夫はすぐに父と仲良くなりました。

聞けば、主人、和夫が入院していたとき、私がいないのを見計らって、毎日面会に行っていたそうです。

毎日毎日、和夫が寝ているときも起きているときも見守ってくれていたそうです。

看護師さんから後で聞いてまた涙してしまいました。

泣いてばかりでしたが、今は旦那を尻に敷いています。

これからも三人仲良くやっていこうと思っております。

 

 

敬五 敬五ママ

 

私は、流産を繰り返していました。23歳で結婚し、5度の流産を経験しました。そして、32歳の春、ようやく生まれてきた子はダウン症でした。亡くなっていった5人を偲んで敬五(けいご)と名づけました。

初めて生まれてきてくれた子、出産時の大きな泣き声、夫と手を取り合い喜んだ日。それから、告知をされるまで、あっという間でした。ダウン症と聞いて少し嬉しかったです。他のもっと重い病気でなくて良かった。5度も流産していたので、そんな気持ちになりました。夫も息子とキャッチボールができると、喜んでいました。本当に幸せ者です。

今、敬五は、小学5年生になりました。普通校の支援クラスで学んでいます。特に大きな合併症もなく、とても元気です。神様に感謝ですね。夫とは毎日のようにキャッチボールをしています。

4年生のときから学校の少年野球に参加しています。支援クラスの子が参加するのは初めてだそうで、受け入れる側の監督さんたちも少し悩んだそうです。でも、練習に夫が参加するという条件でOKがでました。夫は敬五以上に練習に行くのを楽しみにしているほどです。敬五は、意外と運動神経がいいみたいで、レギュラーにはなれませんが、試合では時々代打で出してもらっています。他の子と比べてしまうとやっぱりひと回りもふた回りも小さいんですよね。上手く打てませんので、最近では、週末、練習が終わった後に、バッティングセンターに通うのが日課になっています。夫の熱の入れようが尋常ではないのです。「何としてもレギュラーの座をつかむんだ!」・・・昭和生まれの発想ですかね。敬五も期待にこたえようと必死に練習しています。本当にいい子です。

ある日、大会の予選が行われるということで、敬五と夫に連れられ、私も観戦に行きました。お弁当を作って、ウキウキしてしまいました。お弁当作りにこれだけ気合が入ったのは久しぶりです。敬五も残さず食べてくれるので、本当に作りがいあります。

さて、大会ですが、敬五はベンチスタート。同点で迎えた9回表、セカンドの子が打球を受けて怪我をしてしまったのです。そこで何と!敬五が代わりに出場することになったのです。私は大声援を送りました。興奮しました。そして、ツーアウトになり最後のバッターのボールが敬五のところに飛んでいきました。「敬五!」監督も思わず声を上げました。敬五は、習った基本通りにボールの正面に腰を低くして立ち、グローブを出しました。でも、ボールはグローブを通り越して、敬五の体に当たって落ちました。落ちたボールを敬五がつかんで、ファーストに送球。見事アウトにしとめました。仲間からハイタッチをされて喜ぶ敬五。「いいぞ!」監督からもお褒めの言葉を頂きました。9回裏、ランナー1、2塁で、敬五に打順が回ってきました。代打ではなく、敬五がそのままバッターボックスに立ちました。サインはバント。でも、敬五はサインを間違えました。思いっきり打ちにいきました。ぼてぼてのサードごろ。敬五と他のランナーは必死に走りました。敬五はアウトになったものの、他のランナーは進塁。結果的にはバントと同じことになりました。次のバッターがヒットを打ち、見事サヨナラ勝ちをおさめました。私は、ハラハラしながら、こんなにまで成長したわが子を見て、うっすら涙ぐんでしまいました。試合後、夫と話したら、夫も目を真っ赤にして感動していました。敬五と共に家族三人で試合に出してくれたことに感謝をしようといったら、監督もうっすら泣いていました。みんなで泣きながら、勝利をおさめた。これが敬五の力です。普通の子では得られない感動を私たちに与えてくれました。敬五には、5人の兄弟がいる。きっと彼らのパワーのおかげだったんだと思います。本当にすべてに感謝です。ありがとうございます。

 

 

無償の愛情 パン屋

 

娘とパン屋さんを始めました。娘、18歳のときに開業。今で、12年目になります。この間いろんなことがありました。

開業したては、お客さんなんて一人も来ない日が続きました。娘と二人で、泣きながら過ごしました。娘はそれでも諦めず、毎日毎日、パンを作りました。作るのが好きみたいなんです。それだけが救いでした。自分で作ったパンを朝昼晩、毎日食べました。

ある日、娘が、クロワッサンを作りました。少し変わっていて、真ん中が細くて両端が太い不思議なクロワッサンです。これが話題を呼び、少しずつお客様が増えました。娘の想像力のおかげですね。娘も自分の作ったパンが売れ、とても喜んでいました。

しかし、客足がぱったりと止まりました。どうも、障がいのある子が作っているということが世間的に知れ渡ったからのようです。これには、私も主人も悲しくなりました。何度泣いたことでしょう。障がい児は受け入れられないのか。障がい児の作ったパンは汚いのか。そんなことを毎日考えていました。でも、当の娘はそんなのお構いなしです。自分の作ったパンをおいしいおいしいと言って食べていました。こんな娘の姿を見ていたら、悩みも吹き飛びました。

だったら、障がいがあることを前面に出してしまおうと考えたのです。娘がパンを作るところをビデオに撮り、近くの小学校に配ったり、店頭で流したりしました。これが大成功。すごい受注量がありました。娘と二人でてんやわんや。自分で食べる分なんてありません。

娘は、貯金が増えるのを楽しみにしています。給料はそう多くはないのですが、30万円貯まりました。通帳を見てはニヤニヤしています。本当に面白い子です。好きなパンを作って、お金が増えて、順風満帆ですね。「そんなにお金をためて何に使うの?」、そう聞いたことがあります。娘は「何にしようかなぁ」なんて言って嬉しそうにしていました。

ある日、我が家に大きな宅配便が届きました。マッサージチェアでした。送り主は、娘。苦労して苦労して貯めたお金で私と主人のために買ったと言うんです。30万円すべてはたいて。これには、夫婦共々感激で涙があふれてきました。いつも私が肩こりを気にしているのを知っていたので、マッサージチェアを買うことに決めたそうです。泣きながらお礼を言いました。「泣かなくていいよ。笑って受け取って。これからもお金を貯めて何かお母さんとお父さんのためになるものを買うんだ」、そう言って自慢げにしていました。

娘の優しさは誰に似たんでしょう。主人も優しいんですが、それ以上です。ダウン症の子の特徴ですね。とにかく優しい。「無償の愛情」という言葉が当てはまります。優しすぎる我が子が怖いです。この命、いつか失うんです。私が先か娘が先かは分かりません。私が先立ったら娘はパン屋を切り盛りして生計を立てるでしょう。娘が先なら、私はパン屋を辞めるでしょう。こんな選択考えたくもありません。でも、考えておかなければいけません。大切なことですから。そのために、娘にはパンの作り方を手塩にかけて覚えさせています。一人でもできるよう、レジ係も任せています。時間は有限です。その時が来るのを戦々恐々と待っています。私が先立ったら、娘は笑って送り出してくれるでしょうか。いや、泣くでしょうね。そこまでバカじゃありません。でも、いつも答えが出ません。死と隣りあわせで経営しているパン屋さんなんて、そう多くはないでしょう。それが味にも出ていると思います。娘が慎重に測った材料で、慎重に生地を作り、焼き、おいしいパンが出来上がる。良くここまで成長したね。その成長が生きがいです。毎日毎日新たな発見があります。こんなスリリングな人生を送らせてもらって本当に感謝しています。パンを買ってくれている皆さん本当にありがとうございます。皆さんの支えで今の幸せがあります。今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

子守 一多ママ

 

ある日ふと思ったことがあります。わが子が天使ではなく、悪魔の使いではないか。神さまの悪戯で悪魔の化身を我が家に送り込んだのではないか。それほどに私は疲弊しておりました。

一多(いちた)を産んで10ヶ月目くらいのことです。夜鳴きがひどく、私は精神的にも身体的にももう限界でした。そんな私を見かねて主人が義祖母を同居させてくれました。夜鳴きをしたときもゆっくり寝させてもらいました。本当に助かりました。でも、今度は、昼寝て夜起きるというサイクルになって義祖母も体調を壊してしまいました。義祖母は自宅に帰り、私が再び面倒を見ることにしました。それが本来の姿です。でも、義祖母がいなくなってからというもの、夜鳴きがすっかりなくなりました。

ある日、夜中にふと目覚めると、娘、明子(9歳)が、一多を抱きかかえ、子守唄を歌っていたのです。夜を徹しての子育てでした。昼元気に学校へ行き、夜は子育て。「明子、そんなことしなくていいよ。それはお母さんの仕事だから」。そういうと明子は応えました。「一多がかわいいからしてるの。好きにさせて。ゆっくり寝て」。明子は小学校のテストもいつも100点です。小学校から帰るとまず勉強を済ませ、夕食の手伝いをしてくれ、夜中には一多の面倒。こんな小学生がいていいのでしょうか。

ある日、学校の先生から私に電話がありました。「最近明子ちゃんが授業中に寝てしまうことが多いんですが、大丈夫でしょうか。かなり疲れているようですが」。私は、明子に「授業中に寝てるの?」と問いました。「寝てない!」そうきっぱりと答えました。明子がそう言うんだったら大丈夫だ、そう思っていました。

でも、事態は悪化。明子が明らかに体調を崩しているとのことでした。「明子、本当に無理しなくていいんだよ」。何度も私は言いました。その度に明子は言います。「かわいい弟なんだもん。それにお母さんに元気でいてもらいたいから」。9歳の子に諭されるように言われました。明子はそれでもテストの点はいつも100点でした。意地の100点でした。一多はやっぱり悪魔じゃなく天使だと思いました。この明子の言動を見れば一目瞭然です。家族が一つになっている。そう実感しました。

そんなこんなで、今我が家では、一多が夜鳴きをしたとき、私、明子、主人が順番で面倒を見ることにしました。これで負担が一気に解消。天使に振り回された数ヶ月間でしたが、それなりの意義は大きく、特に明子は良いように成長しました。お姉さんというより、第二の母親のような存在になっていました。

そんな中、一多の1歳の誕生日を迎えました。ハッピバースデーを歌いながら、明子が泣きました。滅多に泣かない明子が泣いたんです。緊張の糸が切れたんでしょうね。泣いて泣いて泣きまくりました。「お母さん、私、辛かったの。本当はすごく不安で誰かに頼りたくて。でも頼っていたら、その人にも迷惑が掛かる。頑張ったんだよ」。そう言うんです。「よく頑張ってくれたね。本当に助かったんだよ。明子はすごいよ。明子も天使だよ。一多だって本当に感謝してるよ」。そう言うと、一多は元気いっぱいに笑っていました。「ありがとうお姉ちゃん」、そう言わんばかりに明子に抱きついてきました。そんな一多に抱かれ、明子は益々泣きました。「一多、お姉ちゃんに感謝するんだぞ。最高の理解者だ。一多が天使なら明子は神さまだ。ありがとう明子。そして、一多。夜鳴きをやめなさい」主人が言いました。一多は何だか大喜び。まるで夜鳴きを楽しんでいるかのようでした。明子とのスキンシップを楽しんでいる。「相当なお姉ちゃん子だな」。主人が呆れるように言いました。その時です、一多が「あきこ」、と喋ったのです。何度も「あきこ、あきこ」と言いました。一多から明子への最高のプレゼントでした。パパでもなくママでもなくマンマでもなく、「あきこ」が初めて喋った言葉らしい言葉でした。これに明子が号泣。「嬉しい、一多、本当に嬉しいよ」、そう明子が答えていました。「明子の苦労が報われたな」、主人が言いました。「うん!」、そう言った明子の顔は神さまのような深い愛情に満ちた笑顔でした。笑顔と泣き顔、同時になると、鳥肌が立ちます。家族全員、鳥肌が立ちました。明子の苦労が報われるように祈るばかりです。

 

 

ヒーロー 和生ママ

 

和生が生まれたとき、初孫ということもあり、私と夫の両親がとても喜びました。病院でも喚起の声を上げ、手を取り合って喜び合いました。私にも激励の言葉を頂きました。

そして、告知。喚起の声は止み、喜びはどんよりした積乱雲のような灰色の世界に変わりました。私は、和生を愛せない。正直そう思いました。私たちの両親もそう思ったようです。そんな空気を感じて、夫が激昂しました。「生まれてきた子を愛せなくてどうする!どんな子供だって生まれてきた子は大切だ!かけがえのない命なんだぞ!」。私は、こんな姿の夫をはじめて見ました。大声で言いながら、目には涙を浮かべていました。夫は、一人立ち上がり、和生の味方になってくれました。正義のヒーローです。

和生は今、7歳。ヒーロー物のテレビ番組が大好きです。そんな時、和生に言います。「お父さんはヒーローだよ。和生が生まれたときに和生を守ってくれたんだよ」。我が家の方針はすべての情報を開示すること。家族内で秘密を作らないこと。これは夫の方針です。だから、和生の物心がつく前から、和生には、ダウン症なんだということを伝えています。かなり珍しい家庭だと思います。和生も今ではそんなことを気にせず、一人の子供として精一杯生きています。「和生は私にとってのヒーローだよ」。そんなことをテレビに釘付けの和生に言ったこともあります。テレビに夢中で聞いてなかったみたいです。でもいいんです。私は、和生を生んで二人のヒーローに恵まれました。

ダウン症のお子さんを出産した方全員がおそらく落ち込むと思います。でも、多分誰かがヒーローになって家族を支えていくんだと思います。それは、ママさん自身かもしれません。でも、きっとお子さんを守るヒーローが現れると思います。

和生は留年してまだ保育園に通っています。同期の仲間たちは小学校にあがりました。保育園でも色んな事件が起きました。いじめられたり、いじめたり。和生がいじめっ子になったときもありました。このときは、少し胸がすいた気がしました。いじめられてばっかりじゃないんだ。心の中で、「和生はヒーローだよ」。そんな風に思ったこともありました。不謹慎ですね。

和生は将来、テレビ番組のヒーロー物の仲間になりたいとよく言っています。体を鍛えてヒーローになるんだとよく言っています。毎日、なわとびを300回やっています。2時間くらいかかります。ものすごい努力家です。ダウン症ってことをどう思っているんだろう。ダウン症の人がヒーロー物の戦隊の一人になるような時代は来るのでしょうか。そこまで、日本の福祉はたどり着けるでしょうか。ヒーローになりたいというのは夫ももちろん知っています。夫は和生に言います。「ダウン症だからといって夢をあきらめる必要はないんだよ。やれるだけのことをやって、あとはご先祖に祈りなさい。何かの形で必ず報われる」。和生には少し難しい表現ですが、よく理解しているようです。

和生はそういう訳で、お墓参りがとても好きです。土日は毎日、散歩がてらお墓参りに行きます。お墓の前で手を合わせ、なにやら祈っています。ある日、「何祈ったの?」、と何気なく聞いたことがありました。「戦隊ヒーローになりたい」、そう言うと思ったら、「お父さんとお母さんが元気でいられますようにって祈ったの」、と言いました。私は、思わず泣いてしまいました。なんて優しい子でしょう。まだまだ子供だと思っていたら、こんなにも成長していたなんて。自分のことより私たちのことを祈るだなんて。私は毎回「和生が戦隊ヒーローの一員になれますように」などと祈っていた自分が恥ずかしいです。和生は本物のヒーローです。私を守ってくれるヒーロー。この子の未来が明るいものとなるようただただ祈るばかりです。

 

 

校内放送 兄

 

僕の妹はダウン症です。

妹は、今年、小学一年生。同じ学校の支援学級に通うことになりました。

僕は六年で、たった一年しか同じ学校に通えません。

妹は、言葉がまだ上手く話せず、会話がかみ合いません。

でも一生懸命おしゃべりします。

そんな妹が、給食の時間に校内放送に出演したことがあります。

司会の子が、妹に好きな科目を聞きました。

「こくごとたいいく」妹はそう答えて、「うふふ」と笑いました。

校内放送を聴いていた僕のクラスの子達が一斉に笑いました。「あれ、お前の妹だろ!」みんなに言われました。女子からは、「かわいい〜」と歓声が上がりました。

続けて質問が飛びます。「家族の中で誰が一番好き?」との質問に、「お兄ちゃん」と答えました。僕のクラスの子達が一斉に笑いました。僕はちょっと恥ずかしくて顔が赤くなってしまいました。

「学校は楽しい?」との質問には、「うふふ」と答えました。笑ってごまかしていますが、楽しくないんですね〜、実は。いつも嫌々登校している感じなんです。「嫌い」と言わなかっただけよかったです。

最後に、うろ覚えの校歌を熱唱して、校内放送は終了しました。

女子も男子も妹に好感を持ったようで、昼休みの時間に支援学級に行って妹を見に行く子もいました。

これは、我が家でも大きな話題になりました。父も母もとても喜びました。妹も得意げにおしゃべりしました。

後で先生に聞いたのですが、支援学級の子が校内放送に出演するのは珍しいことみたいなんです。「お前の在学中に出演させたかったんだ。」そう言われました。僕が卒業するまでに妹を校内放送に出演させることの意義、それを先生から託されました。先生の配慮は見事成功しました。妹のかわいさが校内のみんなに伝わり、ダウン症というものへの理解が深まったと思います。支援学級の子ということで特別視しないで、普通の陽気な子としてみんなが見てくれるようになりました。それからは、みんなが妹に対してずっとフレンドリーに接してくれるようになり、妹も学校に行くのが楽しいというようになりました。先生には本当に感謝しています。「妹を守る」それができるのは自分しかいない、そう思っていましたが、そうでもなかったことに気付かされました。先生、クラスのみんな、近所の子達、みんなが妹を支えてくれます。支えられて妹は一層楽しげに振舞います。こんな好循環があるんですね。僕が卒業しても、この校内放送を聞いた子達が、妹を守ってくれる。そう信じています。そう考えると、安心して卒業できます。皆さんに感謝です。

 

 

キャンプ 五人家族

 

夏休みの話です。

当時、15歳だった私は、お母さんに提案しました。

11歳の弟と、10歳の妹(ダウン症)と一緒に三人でキャンプに行きたいと。

お母さんはもちろん心配して反対しました。お父さんも反対しました。

でも私はどうしても行きたかったのです。なぜなら、それは、妹が行きたいと言い出した件だったからです。あまり欲が無く、どこかへ遊びに行こうと言うことになっても滅多に口を出さない妹が初めて行きたいと言ったのです。私はどうしても妹の願いを叶えてあげようと必死でした。「確かに心配はあると思う。でも、初めて行きたいって言ったんだよ。三人でキャンプに行きたいって言ったんだよ!」

結局、お母さんもお父さんも心配ながらも、許可が出ました。

夏休みの中盤くらいに、お父さんにキャンプ場まで車で送ってもらいました。キャンプ場は、家から車で2時間ほど離れたところにあります。テントやバーベキューセットを貸し出してくれるところでした。着いてすぐに、お父さんとお母さんは帰り、三人でテント作りをしました。楽しかった〜。妹がこれまでに無く「きゃっきゃきゃっきゃ」して笑うんです。テント作りをしている途中からテントの中に入り込み、一人楽しんでいました。テントが完成して、夕食作りの準備を始めました。前日にお母さんと一緒にバーベキューの食材を買い込んでいたので、それを焼いて食べました。妹は、まだ焼けてないほとんど生の野菜でもすぐに食べてしまいました。お腹がすいてしかたが無かったようです。「おいし〜!」何度もそう叫んで食べきりました。夕食も済ませ、テントで寝る準備をしました。テントの中で寝袋に入って三人並んで寝ました。

でも、事件は深夜に起きました。妹が泣くんです。「お母さんは? お父さんは?」そんなことを言い始めました。私は困りました。「今日は三人で寝るんだよ。お父さんとお母さんは家にいるから。」そう言い聞かせましたが、収まりませんでした。夜中にテントを飛び出し、家の方に走っていってしまいました。私は追いかけ、捕まえて、説得しました。「今日は三人で寝るんだよ!三人でキャンプ行きたいって言ったでしょ!」でも、「嫌だ!怖い!」と言って聞きません。困り果てていると一台の車がゆっくりと近づいてきました。運転席には父、助手席には母が乗っていました。「たぶんこうなると思ったの」母が言いました。二人は、私たちのテントが見える高台の駐車場に車を止め、交代でずっと見守っていたと言うのです。「お父さん、お母さん」私は、嬉しくて思わず泣いてしまいました。そうしたら、妹が言いました。「みんなでテントで寝よう!」妹のためのキャンプだったので、その意見は採用されました。五人でテントで寝ることになりました。四人揃ってテントに行くと、弟はこの騒乱にもかかわらず、ぐっすり寝ていました。私たちは狭いテントでぎゅうぎゅうになりながら寝ました。楽しかったです。その狭さがたまらなく楽しかったんです。家族が一つになった感じがして。妹には参りましたが、この幸せを与えてくれたのも妹のおかげ。妹には心から感謝しました。それと、お父さんとお母さん。貴方方の子供でよかった。

 

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