告知例1

モコはダウン症」ブログより

 

染色体異常の検査告知

 

旦那や家族が私の産後の体を気遣ってくれたので、モコの入院している病院に行ったのは、生後10日経ってからだった。それまでモコに会ったのは、産まれた時と、病院に搬送された時の2回だけで、時間にして5秒くらいしか我が子を見ていなかった。

NICU(新生児集中治療室)で、3回目の対面。初めての抱っこ。あんなに大きく産んだはずなのに、小さくて軽い。目を開けないモコを見て、「目見えるのかな。いつも寝ているんだよ。モコ大丈夫なのかな?」と旦那がしきりに私に話しかけてた。「大丈夫だよ。」・・何があっても。そう心の中でつぶやいた。

 

主治医の先生に面会室に呼ばれた。今日は病状の説明をするので、ご夫婦揃って来て下さい。と事前に言われていた。旦那と一緒に面会室に入る。

まず、この病院に搬送された時の症状や、その後の処置が話された。血液中の酸素濃度も落ち着き、今の症状は極めて順調である事を聞き、ほっとした。その後、血液中の酸素濃度の低下は、心臓、心室に空いている穴が原因である事、病名は『心室中隔欠損症』と告げられる。但し、胎児のうちは誰でも穴が開いていて、生まれる時に閉じるはずが閉じていない。ので、経過を見て自然に閉じる事もあるという。そこまで聞いて、当初勝手に心配してた難病の可能性はゼロになり、ひとまず安心した。

 

続いて先生が、「心室中隔欠損症である事と、だらっとした感じで筋力が弱い事、首の後ろの皮膚が余っている感じがする事により、染色体異常の可能性があるので、検査をしても宜しいですか?」と仰った。

・・染色体異常・・。

「それってダウン症とかのですよね?」と私が聞く。「はい。」先生が答える。

「ダウン症って知ってる?」隣の旦那に聞いてみる。「知らない。」と答えたので、「障害者だよ。」と答えた。

その私の言葉に突き落とされて放心状態の旦那。一通りの説明をし、部屋を出る先生に、「一応、検査してみるだけですよね?」少しでも旦那に希望を持たせる為に出た精一杯の言葉だった。「・・はい。」先生は静かに答えた。「疑いがあって検査をした場合、どのくらいの確立でそうなのか、ほぼ100%そうなのか。」聞きたかったけど聞けなかった。これ以上旦那のダメージを与えない為に。「可能性がある」のと、「確定」では全く違う。希望はあった方がいい。

 

私はこの時、染色体異常である事は間違いないだろう。と思ってた。

 

 

結果待ち

 

結果待ちの時間は、本当に長かった。

染色体異常である事は覚悟していたが、「多分うちの子は、ダウン症ではないだろう」と勝手に思い込んでいた。「高齢出産で産まれやすい」とかには一応当てはまらないし、モコの顔立ちも、いわゆるダウン症の特有の顔立ちには思えなかった。と言っても肝心の目を開けたところは一回も見てないし、我が子ゆえ、信じ難い気持ちもあったのかも知れないが。

 

だから多分、あまり知られてない分類で、障害の程度も、重度で寝たきりだったらどうしよう。車椅子だったら、家をバリアフリーにリフォームしなくちゃ(その場合は両親の老後も考えると一石二鳥だわ!)とか・・。最悪の事態を想定し色々考え、心の準備をしていた。

 

もし重度の障害で、24時間看護が必要だったら。今までいた友達も、日々介護に暮れる私から離れていっちゃうんじゃないか。偏見もあるかもしれない。そして一番の心配は、仕事を続けられるのか、だった。こんな時期に子供の障害より仕事の心配をしている私は、母親失格なんじゃないかとも思った。

 

こんな晴れない気持ちが一日続いた。普段はブログや友達に話す事で発散しているけど、今回ばかりはブログへの更新をやめた。私一人ならまだしも子供の将来に影響する事。まして私の事を知ってる方も多く見ているので、この状態で噂が一人歩きしても困るという判断からだった。

 

それならば友達にメールしてみるのが一番・・

でもまだ結果も判らない今の時点で、こんな報告させてもみんな困っちゃうのではないか。少なからず、偏見や差別もきっとあるかもしれないし。そんな思いから友達にも言えず。それが転じたのが1通の友達からのメール。意を決して打ち明けてみる。「障害のある子は、周りみんなで協力して育てていくものだと思う。私もモコちゃんといっぱい遊びたいし!」・・大丈夫。差別や偏見のある子は、私の友達にはいない。この1通のメールから、そんな変な自信が沸いてきて、きっと閉ざしてたのは私の方。オープンにした方が道は開ける。

 

それから、くるメールくるメールに、「障害があるかもしれない。でも大丈夫!」と送り続けた。この作戦は成功した。「かんちゃんなら大丈夫だよ!うちの子と友達になってね!」たくさんの温かいメールをもらった。私、大丈夫。激励の言葉を貰えば貰う程、とんでもないパワーが漲ってくるのが分かった。そして思わぬ輪も広がる。「うちの保育園にもダウン症の子いるよ」「私の友達にも染色体異常の子いるけど元気に養護学校行ってるよ!そのママかんちゃんみたいに凄くパワフルだよ!」当たり前だけど、私だけじゃない。友達の友達。すごく身近なところに、頑張ってるママさんがいる。

 

私の原動力は、たくさんの友達。

友達からいつもたくさんの勇気をもらうんだ。

ありがとう。

 

 

その頃旦那は。

どん底から立ち上がれないまま、ひたすら異常がない事を信じ祈り続けていた。日々パワーを増してあっけらかんとしている私とはずいぶん対照的で、旦那からしたら悩んでない私に不信感さえ感じたらしい。

 

 

告知

 

ようやく検査結果が出て、再び面会室へ呼ばれた。

 

重い空気の中、1枚の写真を見せられた。染色体の写真だ。主治医の先生より、淡々と説明を受ける。「21番目の染色体が3本になってますので、モコくんの場合は、ダウン症という事になります。」・・「ダウン症です」の言葉に私はほっとした。もっと重い障害を描いていたから、普通に成長し、普通に生活できる事は嬉しい。

 

そんな私の横で、今にも倒れそうな旦那。絶望感が伝わってくる。「大丈夫だよ!」励ましたつもりの私の言葉に、「何が大丈夫なんだよ!全然大丈夫じゃないじゃないか!障害があるんだぞ?!」と切れる。「私は、大丈夫だよ」少し強めに返す。今思えば、この時「一緒に頑張ろう」って優しい言葉でもかける余裕があったら、もしかしたら旦那も少しは救われていたのかも知れない。先生はそんな夫婦のやりとりがひと段落した後、ダウン症の子の成長はゆっくりな事や、ひと通り自分の身の回りの事は自分で出来る事などをお話された。でも旦那には何を言っても無駄だった。ダウン症は治らない、程度がどうであれ障害があるのは事実で、その現実を受け入れられない様子だった。ひと通り説明を受けたところで、旦那は、話の途中で席を立った。

 

残された私は、先生と立会いの看護師さんに、「すいません、ショックみたいで」と言った。無理もない。こんな冷静な私の方が変なのかもしれない。

 

 

家族

 

最初にモコがダウン症かもしれないって思った時、母に言った。「染色体異常の赤ちゃんのほとんどは、妊娠初期の胎児の時に、育たなくて流産しちゃうんだって。それでも、ダウン症の赤ちゃんは、1000人に一人の割合で生まれてくるんだって。」そしたら母が、「そうなの?!じゃあきっとモコはネギやハイナと遊びたかんだよ!」ちゃんと生まれてきてくれた。それがもう奇跡なんだ。

 

モコは最高の環境の中に生まれてきた。

力強いママがいて、優しいパパと兄ちゃんがいて、お世話好きの姉ちゃんがいて、パワフルなスーパーじいちゃんがいて、小さい子の面倒見たらピカイチのばあちゃんがいて・・。

 

モコが活躍する舞台も役者も、全部揃った。

モコの人生、思いっきり楽しむんだよ。

モコの人生の、主役はモコ。

 

 

かなり前向き

 

なんかここまで書いたら、一応悩んだ事を中心に書いたのでなんだか重い内容に仕上がってしまいました(笑)時間にしたら数時間のうちに解決してるもんばかりだし、告知を受けてショックを受けたりとか、深刻に悩んだことはありません。

 

今までもこれからも、どんな時も、『幸せのカタチは、自分でつくる』を基本スタンスに生きているので、世間一般の価値観で見たら不幸かもしれない境遇の中でも、それを幸せに変えちゃう強さとお気楽さで、楽しんでしまう。それが、私らしさ。

 

だからダウン症の赤ちゃんを授かった事も、すんなりと受け入れられた。というか、私の人生にぴったりな赤ちゃんを贈ってくれた神様に感謝♪「私の人生へようこそ来てくれました♪」と。これからモコと一緒に始まる人生が楽しみで仕方ありません。モコも私も、私達家族も、もっともっと成長していくんだ。

 

私をママに、選んでくれてありがとう。